はい、タイトルの通り。ただその欲求だけです。

長編1作目の『左様なら』は自主制作で撮って、作品を作る体力(お金や時間)がそれはもうカッツカツだったのですが

キャスト、スタッフ、関係者の皆様が本当に素晴らしい方々ばかりで。

お金はなくとも情熱だけはたっぷりありました。

(まじで申し訳ないくらいお金はなかった)


当時のスタッフさんとかともよく話すのですが、現場相当辛かったはずのに思い出美化されて「左様ならの撮影最高だったよね〜」という錯覚を起こしているという。左様ならあるある。

本当にご迷惑をおかけしまくりました。

左様ならに関して言うと、、、



2017年 冬・企画始動

2018年 夏・撮影/秋・ムーラボ上映

2019年 夏・全国公開(順次公開で翌年1月くらいまで)

2020年 夏・DVD化&配信開始



映画祭での上映なくなったりと、

いくつか影響はあったもののいい感じにコロナを避けたので

そういった意味でも恵まれていたと思います。



これから映画も文化も暮らしも、みんなどうなっていくんでしょうね。

この状況下で自分自身はこれからどうしていきたいかを考えると

「映画が撮りたい」というのが一番大きな想いなので、現実的な課題はさておきそこを目指していけばいいんだなぁと思うととてもシンプルです。


この1年、自粛したり、怠けたり怠けたり、褒められた暮らしはしていませんが。

何年かかるのか、望むような形で実現できるか、そもそも撮れるのか。

何の確証もありませんが、それでもやるっきゃない。

それに尽きます。



これまで制作した自主映画の感想をSNSやらアプリやらで拝読させて頂いてる中で、私の作品は共通して「(女性目線の)別れの物語」だというレビューを見かけまして。

「確かに…!」となりました。(何も考えずに素で脚本書いてた)

色んな種類の別れがありますが、大分類ほぼ別れ系。笑


実は2014年に撮影した『ぼくらのさいご』までは物語の中で人を殺したくない主義だったんですが、その後色々と思うところがありまして。

「いなくなってしまった誰かへの想い」というのが自分の中で大切な感情になってきて、描くようになりました。


永遠なんてない、絶対なんてない。

期待するほど素晴らしくもないこの世界を

それでも生きていく。

そういう事を描きたいんだなって。改めて思いました。



長編2作目で構想しているのも、そんな物語だったりします。



思いつきだけで書き綴ってしまいまとまりのない文章で恐縮ですが、そんな感じです。



頑張ろう。


初演出舞台『川澄くんの恋人』いよいよ公演まであと1週間となりました!

突然ですが、私がなぜ舞台演出に挑戦しようと思ったか的なお話です。

自身の演出案件ではないのですが一昨年からお仕事で舞台演劇に携わらせて頂く事があり

以前より舞台を観る機会が増えてもう単純に「え、舞台ってめっちゃ面白いじゃん…」となった事が大きな理由の一つです。


あとは今まで映像演出をやってきてリハーサルにしても現場にしても、圧倒的に時間が足りないよなぁと感じていて。(まあもっと言うとお金が…)

限られた時間の中で最大限の努力はするのですが

作品が形になった後、何かしら後悔している部分があったとして、それを言い訳にしてしまっている自分がいるなぁと感じまして。


「じゃあ時間があればどこまでできるんだろう?」

と潤沢な時間の中で芝居と向き合ってみたいと思い、舞台演出に挑戦しようと思いました。

そしていま連日の稽古を経て、率直に楽しいなと感じています。

細かく拘って、やってみたい事を試して。すごく充実してる。


物理的に時間を増やせるに越した事はないですが、そういう事だけではなく

演出に関してできる限り「何となく」をなくしていきたいなと、改めて思いました。

今後映像演出をする時もそういう風に向き合っていきたいですね。




***ここから若干のネタバレ感あり***


さて、『川澄くんの恋人』の中身的な話なのですが。

まあざっくりと浮気男をめぐる恋愛コメディ的なお話です。川澄くん。

ただ私は人生で驚くほど、いやむしろ引かれる程恋愛してないんですよね。

普段映画でも自分が全然恋愛してないのに恋愛事を描いているので、本当気持ち悪い妄想おばけなのですが(たまに自分でも引く)


それなのに今回この“浮気”というトピックを選んだのは、なんか昨今のワイドショーの不倫報道とかうるさいなぁって。

ベッキーさんの報道の時くらいからですかね?まあそう感じる事が増えて。


「いや、それ他人の話だし当事者だけの問題だから!」っていう。

それは『左様なら』で描いた感情にも近いのですが、他人の出来事を自分のドラマのように語る事が、なんだかなぁって。

しかもそれで誰が傷つく事も構わず身勝手に言いたい放題言う割に、時間が経てばあっけなく忘れてしまって。その無責任さに辟易すると言いますか。


川澄くんはアパートの一室というシチュエーションの中で繰り広げられる物語ですが、全ては結局箱の中の出来事でしかないというか。

世の中のあらゆる場所で当たり前に起きているであろう“浮気”とか“恋愛”のお話で。


川澄くんはありそうでない、何なら現実にはありえないような物語なのに

「なんか分かる」「こういう事ありえそう」そんな風に感じて頂けたら嬉しいですね。


あとは恋愛って絶対的にその人じゃなきゃいけない運命的な理由とか、ドラマチックなエピソードなんてほとんどないよなって。

色々な状況やらタイミングやらフィーリングやらがたまたま合って一緒に居られるだけで

夢みたいけど、実際はそんな崇高なものでもない。

相手の事をどれだけ理解しているかと言われると、意外にちゃんと見えていなかったり。

恋愛ってこんなもんかぁという諦めかもしれないし、

それでも人を好きになれる事は尊いかもしれない。

それは人それぞれで、結局どっちでもいいし、あるいはどっちもでもいい。

そんな風に思ってます。




と、ここまで語ってきた人間が10年は恋愛していないこじらせモンスターという本当にあった怖い話でした。あははははははは



舞台『川澄くんの恋人』劇場公演チケットは残り僅かとなっておりますが、配信観劇もございますので是非ご覧頂けると嬉しいです。

Aチーム・Bチームが「あれ、別の作品かな?」というくらい内容が変わってしまったので、2チームそれぞれの持ち味を是非ご堪能下さい。



石橋 夕帆



映画『左様なら』のアップリンク吉祥寺での上映が本日で終了します。

都内での単独上映のメイン館として大変お世話になりました。


42日間という長期間に渡って上映して頂けたのは

ご来場頂いたお客様やリピートして下さっているお客様

口コミやSNSなど様々な形応援して下さっている皆様

連日登壇にご協力下さった出演者様やトークゲストの皆様

アップリンク吉祥寺劇場スタッフの皆様


書ききれないほどのたくさんの方々が

あらゆる形でこの作品に関わって下さったお陰です。

本当にありがとうございました。



9月〜秋頃というのは、実は『左様なら』の劇中の季節感と同じなんですよね。

(実際は7月上旬に撮影しているので本当に暑かったですが、笑)


撮影から約1年が経って単独公開を迎え

連日劇場に通う中でお客様から様々なお言葉を頂き、

出演者様やトークゲストの皆様とお話させて頂き

様々な気づきや発見もありました。


近頃感じていた事でいうと

昨晩の登壇でも少しお話させて頂いた事ですが



答えなんてない、最後に幸せになれる保証なんてない

そんな曖昧な世界で私たちは生きているんだなと感じます。


テレビの向こうで、SNSの画面の中で起きている出来事のように

どこか実感を伴わないようなそんな残酷さで

それでも続いていく世界を生きていくという事を。



『左様なら』ではあの教室における正義も悪も

涙を流す事の是非も、人の生き死にさえも、すべてに答えを出していません。


ただあの時間を、あの教室に漂っていた何かを閉じ込めたかった。

そして振り返って、立ち止まって、見つめ直したかった。


本当の答えなんてないとしても、

自分なりに腑に落ちる場所を探したかった。


そんな風にこの作品と向き合っていたように感じます。



それでも、映画が終わっても

私たちの世界は続いていて。


生きていけるうちは生きていくんだなと

当たり前のようでいて、実は奇跡みたいなこの日常を

たまには立ち止まって、大切にできる自分でありたいなぁと感じました。



全国各地での上映や今後の展開もまだまだあります。

いいお知らせができますように。


左様なら。




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